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時雨蛤

主な商品
時雨煮
始まり
江戸時代
主な生産地
桑名市
レシピ
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時雨蛤の由来

  「その手はくわなの焼蛤」ということわざがあります。
ことわざになるほど、 桑名の蛤は昔から有名だったのです。
桑名は、 揖斐、木曽、長良という3大河川の河口にあり、淡水と海水とがうまく交じり合い、 蛤の成育に良い条件を与えたのです。

時雨の画像 江戸時代の桑名や富田 (当時は桑名藩領) の東海道筋には蛤茶屋がのきを連ねており、江戸時代終わりに書かれた 「東海道中膝栗毛」 の弥次さん喜多さんも焼蛤を食べました。


 江戸時代前期のころ (1660年頃)には、焼蛤 (松かさで焼くと美味しいと書かれている。)であったのが、元禄頃(1690年頃)に、たまりで蛤を炊くことが工夫され、 風味とともに、日持がよくなったといわれています。
そして焼蛤、 煮蛤両方が街道の茶店で売られ、焼蛤はその場で焼いて食べさ せ、煮蛤は土産用に使われました。

 その後、 煮蛤が土産として全国的に知られるようになり、 現在の貝新家の祖先より命名を依頼された人から相談を受けた芭蕉の高弟である美濃の俳人各務支考 (かがみ しこう 1731年没)が「時雨蛤」と名付けたといわれております。

 以来現在に至るまで、 綿々と時雨蛤には300年前からの伝統的な味、技術が継承され、 活かされているのです。